音楽教育の研究会でエウェ族のわらべうたを紹介


今日始めて、自分の撮ってきた「エウェ族のわらべうた」の動画を人に紹介する機会がありました。
音楽教育関係の研究会での出来事です。
「Gbotsu Fle Atama」というアーチくぐりの遊びを事例として、ヘミオラの説明や歌詞から読み取れる文化的、道徳的解釈について、
音階の解釈について、など話しました。大学の先生方もいらっしゃったので、音階の解釈についてなど、かなり音楽的なお話に発展しました。
日本の人たち(特に音楽家の人たち)からこのわらべうたを見たときにどのようなことが興味深いのかがわかり勉強になりました。


ただし、今日わらべうたの紹介をした中で少し気になることがありました。
「この子ども達は未開の地にいる子どもたちなのか?」という質問が出て、
私自身「未開の地」とは一体どんなところなのだろう?と思い、そのイメージが湧きませんでした。
未開の地???昔、アフリカが暗黒大陸と言われていた時代のことが脳裏にかすみました。


おそらく多くの日本人が考える「アフリカ」はまだまだ「未開の地」なのかもしれません。
私はアフリカに長く住んでいて、日本で知られているアフリカと、実際のアフリカに非常に大きなギャップがあることを感じてきました。
アフリカは私達、日本人が知らないことがほとんどであり、日本や西洋の尺度からその価値観や思想を判断してはならないものだとも感じてきました。
まだそのことがうまく言葉に表せられないもどかしさも感じていますが・・・


大学院で同級生や教授とディスカッションをしているときに、私が「アフリカの音楽は○○だよね」とか「ガーナの音楽は○○だよね」と安易に言ったときにそういった言葉を使うことは正しくない、と指摘されたことが何度かありました。
私達、非アフリカ人にとっては、「アフリカ」や「ガーナ」で多く見られる現象や事象だけを切り取って、
「アフリカは○○だ」などと言ってしまうことが少なくありません。
しかし実際アフリカもガーナも何千、何百と言う民族がそれぞれ異なった文化を持っています。アフリカ人のエリートの中には、そうしたことにある種の危機感を感じている人がいることは確かです。私はガーナのようにアフリカ人自身が自分達の音楽や文化を研究し、解釈しようとしている姿勢は正しいと思います。ただ多くの研究論文はガーナ大学の図書館に埋もれているばかりですが・・・


これから私自身が、日本でアフリカ音楽について語っていく中での、先駆者として?!の責任感を少しずつ感じています。
アフリカ人の視点から解釈されたアフリカ音楽やアフリカ文化を尊重しつつ、自分自身の解釈をしっかり伝えていけるようになりたいと感じています。