ガーナの映画「エマニュエルの贈り物」見てきました!!


上映の最終日、7月13日(金)に渋谷で見てきました。
ガーナ人らしい家族と私だけ、というガラガラの劇場。
上映数分前になってポチポチ人が入ってきて、なんとももったいない状況でした。


上映開始。ひさびさの映画館もあって、「やっぱり映画館の音と大画面の迫力はいいなー」と感激!!
映画はドキュメントで描かれ、冒頭からガーナの見慣れた町並みが映し出されました。


ストーリーはこんな感じ。。。

 西アフリカのガーナ。そこで、右足に障害をもって生まれたエマニュエルには、この地で生きる多くの身体障害者と同じ運命が待っていた。


 父親に見捨てられ、村社会では除け者にされた。ガーナでは、障害を持って生まれた子供は呪われた者とみなされ、物乞いの道しか残されていない。そんな背景にありながらも、母親の愛に支えられてエマニュエルは、自らの人生を、そして国全体の意識を変えるべく、不屈の精神で努力を重ねる。


 支援団体から自転車を手に入れたエマニュエルは、片足だけでガーナ全土を走破。ポジティブに幾多の苦境を全力で乗り越えるその姿から生まれるメッセージは、やがて海を越え、遥かアメリカへと伝わった。


 多くの人々に支えられ、義足をつけたエマニュエルは、トライアスロンのレースに挑戦し、一躍有名人となる。そしてエマニュエルはアメリカで、米国人アスリート、ジム・マクラーレンと運命的な出会いを果たす。交通事故で左足を失いながらも世界一早い片足の長距離ランナーとなり、人生を取り戻したかのようにみえたジムは、二度目の不運な事故で半身不随の身となっていた・・・。


 だが、二人の不屈の精神力は、過酷な運命を生き抜く勇気を互いに与えあう。エマニュエルはジムを慕い、ジムは彼に希望を託す。やがて彼らの勇気は、さらなる大きな目標に向かって拡がっていく・・・。


 ガーナでは、現在もポリオワクチン不足などの理由で多くの子供達が障害をもって生まれ、その数は全人口の10%、200万人に及ぶと言われている。エマニュエルは、そんな背景の中自分の人生に感謝し、信念を持って夢の実現のため立ち上がった。アスリートとしてガーナのヒーローとなった今も、エマニュエルはガーナに暮らし、祖国の路上から物乞いをする障害者がいなくなる日を夢見て、今日も情熱を注いでいる。


 エマニュエルの揺るぎない信念、前向きな姿勢、弛まない努力の数々は、観る者すべての心に大切な“贈りもの”を届けてくれる。


私が驚いたのはガーナの全人口の10%が障害を持って生まれるということ。
この事実は始めて聞いた。


ガーナでは確かに障害者は社会的に迫害されているし、障害を持って生まれてきた子供は殺されると言うことをまじめに聞いたことが何度もあった。日本でも戦前は障害を持った子供たちが家の柱にくくりつけられていたらしい。私が養護学校で働いていたときに聞いたのだけれど。日本でも少し前までそうだったのだから、ガーナでこういう状況と言うのは理解できる。


この話はいわゆるサクセスストーリー、と言った映画のテーマになりやすいものなのだろうが、
私はガーナという社会を実際に見てきたし、発展途上国において自分の意思と行動で社会まで変えてしまう、法律までかえてしまう、と言ったことは本当に珍しいことだと思っている。
だから私にとってはいわゆるハリウッド映画におけるノンフィクションのサクセスストーリーとは意味が全く違うと思った。


そしてもう一つ、エマニュエルは障害者であり、ガーナ人である、ということに意味があると思った。
外国の援助で障害者を支援するようなNGOはたくさん見かけたし、知っている。
それは、先進国の人間が、発展途上国を見て「かわいそう」と援助することに他ならない。
まー、それも意味のあることだけれどね。
いわゆる先進国では当たり前の事が発展途上国にはなく、「これでは人権が。。。」などと言って外部からアフリカに対して力を加えていくこと、そういうことが当たり前に行われている中で、
彼はアフリカという内部から現れてきた人物だから意味があるのだと思う。
そういった点でエマニュエルの行動にはこれからのガーナの可能性が見れると思った。
それに何と言っても頑張っている人が社会で正当に評価されるということは、
多くのガーナ人や、遠く離れた私達日本人にさえも元気や勇気を与えることだと思う。


ガーナにはまだまだ可能性があるんだな。この映画を見てそう感じた。
そして私には何が出来るのだろうか、私は何をしているのだろうか、と自問自答した。


映画館での上映は終了してしまってけれど、DVDが出たら是非ガーナ発のサクセスストーリー
「エマニュエルの贈り物」を見て、ガーナ、アフリカの潜在力を感じて欲しい。