キャンドルの思い出


11月6日に誕生日を迎えました。
ここ最近はアフリカで誕生日を迎えたことのほうが多かったので、
日本で過ごす誕生日はなんだか久しぶりに感じてしまいました。


一つ年を取ったからって、何かが変わる訳ではないけれど、
意識しようと、しまいと、人はみんな同じように年を取り、
人生というのはそうやって積み重なっていくんだろうな、
としみじみ感じてみたりしました。


誕生日や新年というのは、なんとなく節目であったりして、
なんだか「抱負」みたいなものを掲げてみたくなるもんですが、
誕生日を節目に「抱負」や「目標」などをいうものを、
もう一度見返してみたくなったりします。




ところで、最近ゆっくりしたいときは、
キャンドルを灯してお風呂に入ったり、
寝る前に、キャンドルを灯して物思いにふけったりしています。


私にとってキャンドルを灯す、というのは
ロマンチックな気分、
というより、
もっと原始的な気分です。


もともと焚き火をしていると、
じーっと見続けてしまうたちなのですが、
キャンドルを見つめているときもそんな感覚です。


「火」を見ると安心感が湧く、という感じでしょうか。
むかし、むかし、人間が「火」というものを見つけたときに感じたであろう、
やすらぎ、というものがそこにある気がします。
キャンドルの炎のゆらぎは、人に心地よい気持ちを与えるとも聞いたことがあります。




それで、私にとってキャンドルを灯す、ということは
アフリカを思い出すことでもあります。


初めて行ったアフリカの国、ジンバブエに住んでいたとき、
大雨が降ると停電になることがありました。
そうすると、なんだか得をした気分になったことを思えています。
キャンドルの炎だけで、本を読んだり、お風呂に入ったり。
それがなんとも贅沢な気持ちにさせてくれたのでした。


「不便、っていいな。」そんなことも感じました。


今、ジンバブエで私が使っていた、キャンドルスタンドがそのままここにあります。
それに火をつけて、じーっと見ていると、あのときにタイムスリップしたような気分になります。


時にはライトを消して、キャンドルだけで過ごしてみる、
というのは、今の私達にとっては究極の贅沢かもしれませんね。